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人生朝露

人生朝露

『ジョジョ』と荘子 ~波紋と仙道~。

荘子です。
荘子です。

『ジョジョの奇妙な冒険』テレビアニメ化記念!

参照:The Beatles - Get Back
http://www.youtube.com/watch?v=tMy_w5HsfdI

道とは!
というわけで、基本に戻って「ジョジョと荘子」です。

これが仙道だ。
ウルトラジャンプに移ったとはいえ25年もの間連載されている長寿マンガ。
ジョジョといえば「スタンド」という特殊能力がメインの作品となりましたが、昔々に遡ると第三部で最初にスタンドが登場したときは、「幽波紋」と書いて「スタンド」と読ませておりました。さらに昔々に遡ると、第一部と第二部のメインとなる「波紋」というのも、かつては「仙道(センドー)」と呼ばせておりました。

シンいわく、北斗と南斗とは その1。 
さらに遡ると、週刊少年ジャンプの黄金期において、『北斗の拳』や『ドラゴンボール』のような成功例を踏襲する形で、老荘思想に代表される道教的な観念というのは、もはや必須の要素いえるほどまでに活用され続けました。おそらくはブルース・リーのカンフーブームに触発されて活用するようになったんでしょうが、これがハマったんだと思われます。

太極図です。

“天空に二つの極星あり
すなわち北斗と南斗
森羅万象二極一対 男と女 陰と陽 仁王像の阿と吽
暗殺拳しかり 北斗神拳と南斗聖拳!!
経絡秘孔を突き内部からの破壊を極意とする北斗神拳を陰とするならば、
外部から突き入れ全てを破壊する南斗聖拳は陽(『北斗の拳』より)”

代表的なのが「氣(Qi)」、いわゆる「気」の概念です。
氣(Qi)。
『北斗の拳』では「闘気(オーラ)」といえる程度のものですが、
『ドラゴンボール』の「かめはめ波」や「元気玉」のように可視化されたエネルギーとして一般化します。『幽☆遊☆白書』では「霊丸(レイガン)」として使われていますし、「百歩神拳」という技に至っては『魁!男塾』『闘将!!拉麵男』果ては『ジャングルの王者ターちゃん』でも登場しています。

基本的にはその人間の持つ生体エネルギーを放出する(より上位になると外的なエネルギーを利用する)ということと、人間の基礎代謝や精神性に非常に左右されやすいという共通点を持ちます。現在で言うところの「気功」ですが、格闘モノがもてはやされたジャンプの黄金期にはこれに類似するものが随所に見られました。

参照:Wikipedia 気功
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%8A%9F

正の波紋と負の波紋。
ジョジョの波紋も例外ではなく陰陽の観念が「+の波紋」と「-の波紋」として登場します。
荘子にある「陰陽の気」そのものですね。

参照:「元気」の由来と日本書紀。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5082/

武道と田舎荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5013/

『ドラゴンボール』では鶴や亀や猫の仙人が登場しまして、明らかに道教と分かりますが、ジョジョでは最初の段階で「仙道」と言ってしまってそれきりなので、気づかない人も多いと思います。他にも『るろうに剣心』の「天剣の宋次郎」の「縮地(しゅくち)」のように「仙術」の系統の秘術として説明されるパターンもあります。

参照:
http://www.youtube.com/watch?v=BCct_3Rjn0Y&feature=related

身体技法と老荘思想 ~技と道~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5127/

荘子 Zhuangzi。
「『且有真人、而後有真知。何謂真人?古之真人、不逆寡、不雄成、不謨士。若然者、過而弗悔、當而不自得也。若然者、登高不慄、入水不濡、入火不熱。是知之能登假於道也若此。古之真人、其寝不夢、其覚無憂、其食不甘、其息深深。真人之息以踵,衆人之息以喉。屈服者、其隘言若哇。其嗜欲深者、其天機浅。」(『荘子』 大宗師 第六)
→真人ありて、しかる後に真知あり。(中略)高所にあっても物怖じせず、水に入っても濡れず、火に入っても熱さを感じない。知が至り道に到達したものはこのようなものだ。真人は寝ても夢を見ることなく、目覚めていても憂いはなく、ものを食べても味を感じず、呼吸は深々としていた。かつての真人はかかとでゆったりと呼吸していたが、今の世俗の人間は浅はかな議論にうつつをぬかして、あえぐようにのどで呼吸している。欲深き者の天機は浅いものだ。

「真人の息は踵を以ってし、衆人の息は喉をもってす」という、荘子の呼吸法についての記述です。これ、ジョジョの仙道そのものですよね。のどで呼吸をするのではなく、かかとで深く規則正しい呼吸をする。腹式とか丹田のように下腹部を意識する呼吸というのは現在でもありますが、荘子はもっと下の部分で呼吸をするようにすすめます。この呼吸と連動する形で「心頭滅却すれば火もまた涼し」という境地に至るわけです。

参照:Wikipedia 丹田
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%B0

参照:双葉山と木鶏。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5136/

波紋の呼吸法は勇気の産物! 
>「呼吸を乱すのは恐怖、だが、恐怖を支配したとき、呼吸は規則正しく乱れない。 波紋法の呼吸は勇気の産物!!」

その激痛は波紋エネルギーでやわらげるッ!
>「関節をッ!関節をはずして腕をのばすッ!その激痛は波紋エネルギーでやわらげるッ!」(同上)

この大宗師篇の呼吸法の後に女性の道士が登場します。
荘子 Zhuangzi。
『南伯子葵問乎女偊曰「子之年長矣、而色若孺子、何也?」曰「吾聞道矣。」南伯子葵曰「道可得學邪?」曰「惡、惡可、子非其人也。夫卜梁倚有聖人之才、而無聖人之道、我有聖人之道、而無聖人之才、吾欲以教之、庶幾其果為聖人乎。」』(『荘子』 大宗師 第六)
→南伯子葵(なんぱくしき)は女偊(じょう)に尋ねた「あなたはずいぶんと年寄りのはずなのに、まるで若者のように肌の色艶がいいのはなぜです?」
 女偊は答えて曰く「道を学んだからです」。
 「その道は私でも学べるのものですか?」。
 「あなたの器では耐えられそうにありません。しかし卜梁倚(ぼくりょうき)という者は聖人の道に至ってはいないものの、その才が見られます。私も聖人になる器ではありませんが、道を修めるすべを知っています。私はあの者に授けたいと考えています。果たして彼は応えてくれるでしょうや?」

50歳!
『荘子』によると、道を学んだ道士は驚くほど若さを維持できたとのことです。
どうやら女偊は有望な若者を育てようとしているようですね。

荘子 Zhuangzi。
『人莫鑑於流水、而鑑於止水、唯止能止衆止。(中略)勇士一人、雄入於九軍。將求名而能自要者、而猶若此、而況官天地、府萬物、直寓六骸、象耳目、一知之所知、而心未嘗死者乎!』
→流れている水は人の姿を映す鏡にはならない。静かな水面こそ万物の姿を映す鏡になる。(中略)生来受けた本性を保ち得るならば、人は何者にも恐れることはない。勇士が大軍を前にして、たった一人でも怯まずに突き進むのは、ただ、功名を求めるがためのことである。俗事にとらわれた勇士であっても、その調子なのだから、天地を司り、万物と一体となり、五臓六腑も、耳も目も仮のものとして、さかしらな知に惑わされず叡智と共にあるの者ならば、死の恐怖など気にも留めない。

勇気とは!
>「勇気」とはいったい何か!?「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!

ちなみに、
養豚場のブタでもみるかのように冷たい目。
>「あ…あの女の目…養豚場のブタでもみるかのように冷たい目だ。残酷な目だ…。『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』ってかんじの!」

この「養豚場のブタでも見るかのような目」の時のセリフは、
荘子 Zhuangzi。
『祝宗人玄端以臨牢筴、說彘曰「汝奚惡死?吾將三月豢汝、十日戒、三日齊、藉白茅、加汝肩尻乎彫俎之上、則汝為之乎?」為彘謀曰「不如食以糠糟,而錯之牢筴之中。」(『荘子』達生 第十九)
→ある神主が豚小屋の豚に「お前は死を恐れる必要はないぞ。これから三ヶ月、ご馳走を与えてやるし、十日の間身を清め、三日の間斎戒し、白い茅の敷物を敷いて、立派な彫刻のされた皿の上に、綺麗に調理されたお前が乗るのだ。お前は神様のお供え物になるのだよ。どうだ嬉しいだろ?」と聞けば、豚は「今日から、えさはぬかや酒粕でいい。もっとこの豚小屋にいさせてくれ。」と答えるだろう。

『鮒魚忿然作色曰「吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆。」』(『荘子』外物 第二十六)
→フナは怒ってこう言いました。「水がなくては生きていけない私は、今この轍の水溜りを頼るばかりです。たった一升の水で私の命がつながるのです。あなたのおっしゃる調子でしたら、乾物屋の店先で私をお探しになれば、後日私と再会できるでしょうね。」

達生篇の豚と「轍鮒の急(てっぷのきゅう)」のフナのセリフのアレンジだと思われます(笑)。

今日はこの辺で。


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